2014年3月28日金曜日

神の審判としての歴史とキリスト教倫理


神の審判としての歴史

歴史とは何か

歴史とは神と世界と人間の営みです。
人間がその始めより終わりまで自らを越えている存在である神とその存在する世界で、その時、その場所で折り交わされたものが歴史です。
したがって人間は何時の時代にも神について語ります。
自然科学や合理主義の発達とともに神は様々に論じられ、否定されたり、肯定されたり、分析されたりしてきました。
しかし人間が分かっていることは、
神はいる、しかし捉えることが出来ないということです。

神はいる、でも分からない、これは人類の始めからの定理なのです。
中世期にモリノという修道僧が神認識の困難を語っています。

では神は何故分からないのでしょうか。

第一に言葉の不完全ということです。
相対の世界に住んでいる人間言葉で絶対世界の神様を語ることは出来ないのです。

第二に人間の知恵の頼りなさによるのです。ニュートンはりんごの落ちるのを見て引力説を説き、ガリレオは地動説を説いて地球が太陽の周りを回ることを説きました。しかしニュートン以前にも引力はあり、ガリレオの前にも地球は太陽の周りを回っていました。人間は神の創造された世界を懸命に学び取ろうとしているだけなのです。

第三に純潔、無垢、至聖である神の前にいかなる人間も等しく罪人であることです。
すなわちどれほど高潔な人間でも至聖の神に届くことは出来ないのです。

では人間が神を知る方法はないのでしょうか。

その唯一の方法は、人間が自分で神を知るのではなく、神が人間に襲い掛かることによってのみ可能となるのです。

故に人間は、神は分からないということをはじめに知らねばなりません。

しかし それなら神、世界、人の生み出す歴史もなくなるのではないかと淋しくなります。そこに神の「啓示」が在るのです。啓示とは神様が一つ一つに身につけているものを脱いで、ご自身をあらわしたもうことです。

その第一が自然です。大自然の美しい姿、神々しい風景、天に昇るような崇高な感覚は神が表されるご自身の姿です。

第二の啓示は 「歴史」です。創世記第一章、第二章における神、自然、人の美しい統一は第三章においてその調和が乱され、ここに裁かれた歴史が始まります。

神と自然と人との統一の乱れはノアの箱舟、バビロン、エジプトの興隆と衰微、そしてローマ帝国の統一まで押し流され、やがて主イエスの降臨を迎えます。

「時満に及んで、神は御子を女から生まれさせ、律法の下に生まれさせて、おつかわしになった」(ガラテヤ書 4:4)

自然界を通し、歴史を裁きつつ自らを啓示し給うた神様は「時満るに及んで」つまり ヘブル書の記者の言う「この末の世」に、御子イエスキリストによって、私達に語りかけたまうたのです。つまり、主イエスのご降臨まで、神様は様々な方法を用いてご自身をあらわされましたが、二千年前、ユダヤの国に生を受け給うた御子イエスによって、ご自身をあらわされたのです。

イエス・キリストなる歴史的実在の降臨によって、世界の歴史はま二つに割れ、紀元前と紀元後とに区分されました。

このようにイエス・キリストによって神の御心があらわされたのですが、それは残された二つのものによってです。

一つは、神の御言葉です。つまり、イエス・キリストを予言している「旧約聖書」および、イエス・キリストの生命を、世界のもろもろの出来事の中に具現してきた「新約聖書」です。 世界のもろもろの出来事は神の御言葉によって判断されるのです。

もう一つは教会です。教会は主なるキリストの御からだであり、この地上に存在し、私達に神の御言葉を語るのです。

しかし歴史は、キリスト教が国教となったローマ帝国、教会が社会問題の決定権を持った中世を経て、ルネッサンス、宗教改革、産業革命と続きます。これらは 文化、経済、社会の変革を起こし、ここに教会と一般社会の断絶が生まれて来ました。 そして様々な文学の世界に表されるように、人間は、戦争、失業、混乱、労使問題、自然と人間、経済成長と不況、産業革命、性の問題、飲酒、人権、搾取と暴力など様々な問題を抱えることになるのです。

キリスト教倫理

聖書には、夫婦、主従、市民、政権に対する態度、貧者への慈善、食物への指針などが記されています。特にパウロの手紙は前半が教理的、後半が道徳律のようになっています。

しかしめまぐるしい時代の変遷は、キリスト教倫理学の混乱を招いています。

戦争、産児制限、妊娠中絶、性の問題などは宗派や学者によって様々な解釈がなされています。

多くの学者によって様々な論争、論議、解釈がなされても、つまるところ人間は、その一番神聖な行為すら。神の前には罪の醜さに満ちているのです。灰になるまで救いの保障などないのです。

「私はなんという惨めな人間なのだろう。誰が、この死の体から、私を救ってくれるだろうか」この心境に尽きるのです。

キリストと私の対面

特定の時間と空間の中で生きている私どもは、自分達の経験しつくした事件、たとえば、戦争、性欲、貧困、人種差別などさえ 新しい混乱を生み出してまいります。まして国際間の安全保障問題、地球温暖化と原発を含むエネルギー問題など、どうして直ちに解決の言葉と道が導き出せるでしょう。

「私ども日本聖公会が、その百年の歴史で最も苦しんだのが、あの日本キリスト教諸教派を二分にして、一方をローマ・カトリック(当時、日・伊は同盟関係のようなもの)、他の一方(聖公会、ルーテル、バプテスト、メソジスト、組合、日本キリスト、そのほか)を一丸として、一つの教団とするという戦争前の事件、これは戦争につき物の、いわゆる副産物で、教会合同という美名の下に、国策遂行に役立たしめるものなのです。ヒットラーもスターリンもともに教会合同をあの当時実践したもので、東条内閣もまた、それを実行しようとしたのです。仏教には大谷光瑞という傑物が居て、東と西の合同に反対しましたが、キリスト教会は、あの手、この手と物静かに、厳かに、しかも執拗にせめられて、文部省稲田宗教課長が、「聖公会は雨と嵐に吹きさらされていますね」と口にした通りであります。外国宣教師は送還され、他の教派と袂を分かって、単立教会、まあ、体のいい秘密結社のように成り下がった私どもでしたが、一年たって昭和十六年九月二十九日、私の主教聖別記念日に、東京から畏友三浦清一君が現れ、九州から山口大司教も見られるという始末でした。

それまでの一年間、聖公会も一城落ち、また一城が向こうに寝返るというわけで、いわば残っていた私どもは、淋しい豊臣の遺臣のようなものでした。淀君の在さぬ残党です。教会内でも、合同しても信仰を失ったのでなく、かえって伝えられた信仰がそれによって維持できると主張するものがあり、また一方では、聖公会の伝統を正しく守ることこそ、神への忠誠だと主張するのです。分かれたもの、残ったものとの間の愛情の欠如は、反って憎悪の心をすら生んでいたのでした。

「どうやって分かれ去った人々と愛の交わりを保ちつつ、自らの信仰に忠誠で居られるか」が私の問題でありました。

時に三浦は一通の手紙を渡してくれました。 

「八代斌助大兄

冠省、非常に切迫していますので、あえて再び三浦清一氏を煩わして西下願いあげます。
何卒、尊兄一人の「男」の問題ではなく、キリスト教全体の大きな問題となっていることを御再考願いあげます。 教義の問題ではなく、「英米依存」を問われているのです。云々
                         賀川豊彦」
とあるのです。

一方山口大司教は慰めと励ましの言葉を下さるし、他方、賀川さんの切ない事情、軍部の圧力も分かっているのです。自分と一緒に闘う同労者やその家族を思いやり、わが身にまつわる種々の心労に、祈りとともに、「よし、三浦、賀川先生に、ご相談に応じます、と伝えてくれ」と同君を東京に送り返したのです。

ところがその晩、寝られないのです。

『クオヴァデイス』のローマ公害に逃れんとしたペテロに、「どこへ行く」と悲しくも迎えたもうた主イエスの御姿が見えるのです。あの主イエスをあざむいたペテロの苦悩、バシル、ケレー、そうした先輩、父や日本の同心の友への反逆、もうくたくたになってしまったのです。

早朝、袴田司祭を呼んで懺悔し、早速電報を賀川先生に打ち、憲兵隊にも「お断り」の報告をしたのであります。何もキリストを捨てたのではないのに、こんなにも信仰とは煩雑なもので、個人的なものかと肌身に染みたのです。いわば、イエス様がどう思われるかが問題です。他の人とイエス様ではないのです。

「主よ、この人はどうなのですか」(ヨハネ21:21)ではないのです。このペテロの言葉、「この人はどうなのですか」は、信仰の世界に存在し得ない言葉です。合同する人が良心的にイエスを仰いで、それで安心してるかも知れないのです。こちらはそうは行かないのです。是か非かの問題でなく、証と罪の問題でもなく、はるかに高く、それで居てはるかに現実的です。

「クオヴァデス(どこへ行く)」とのたもう主イエス・キリストとの対面なのです。 

したがって私は、袂を分かった新教の諸兄弟とも仲良くし、さらに聖公会内部の別れた兄弟とも愛の交わりが続いています。なぜなら私にとって問題であったのは、イエス様との愛の交わりだけだったからです。そこから出てくる対人関係は、自然に「敵をも愛する」ことになるのです。敵というのはこの世のつまらぬ区分だけなのですから。 

結局、キリスト教倫理とは、これただキリストと和らぎの心で対面しうるかどうかにかかっているのです。

このことは数年続く大学紛争でも同じです。処罰されんとする学生に対して、

ー犯罪は社会組織の不合理に対する抗議であるという立場。

--君子あやうきに近づかずという自らを守ろうとする態度
つまり良きサマリア人のたとえ話の祭司の卑劣な態度

―まず罪のなきもの石にて打てといわれた主イエスの言葉(ヨハネ8:7)

ここで、わたしどもは はっとして驚き、イエスの顔を仰ぐのです。そのまなざしの向かう罪人に対面するのです。救わねばならぬひとりの友の前に、はたして私どもは、あの道の向こうを通った祭司ではなかったか。

「イエス様ならどうなさるのだろう」と考えるとき、その相手の上にかがみこむ主イエスを見出すのです。

こうしたあらゆる社会問題にぶつかるとき、私どもはまず「ああ、おれは、はたしてイエス・キリストをまともに見られるだろうか」と胸に手を置くことです。司直の裁きがどんな判決をその本人に言い渡しても、職員会議、教授会がどんな決定をくだしても、私どもはイエス・キリストを仰ぐと同じ心の和らぎを持って、その本人を見つめえられるかが問題なのです。それ以外のものはどんなに紳士的であっても、どんなに論理的であっても、結局はその相手に自らの恥部をさらけ出しているだけなのです。 

結論

キリスト教の信仰は、「聖霊によらなければ、誰も『イエスは主である』という事ができない」と聖パウロが語るように、私どものもろもろの信仰を超えた上からの恩寵によって捉えられるものです。神の大いなる技、キリストの死と復活を信じたものは、自分もそのとおりに「死よりの甦り」を日ごとに体験するものであらねばならないのです。キリスト教にはキリスト教倫理など存在せず、神様の愛に包まれ、我がうちに住みたもうイエスの生命と愛が自然に湧き出てくることなのです。

完全な主イエスへの服従、そこに一切の人間関係の和解と愛とやすらぎが実現するのです。

 

 エキュメニカル運動が常識となった現代では、戦時中の父の非合同は奇異に感じられるかもしれません。しかし歴史の中で見つめるとき、先の戦争の戦勝国の宗派であった聖公会(アングリカン、エピスコパリアンチャーチ)を軍部の圧力から守り抜いたという事実は、大きな意味を持っていました。父は聖公会であったマッカーサーから戦後の復興の協力を依頼され、戦後の世界に和解の使者として赴くことになったのです。まさに神の摂理を感じます。

それから25年、天に召されるまで 父はエキュメニカル運動に尽力しました。大阪万国博覧会にキリスト教が一つになってパビリオンを出し、父はその館長を勤めました。しかし今度はそのキリスト教合同の事業に対して、新教からの反対や聖公会内部の造反に苦しめられました。

創世記第三章で神と世界と人の調和が破られて以来、人類の歴史は悲しくも常に不調和であることを感じずにはいられません。