2014年4月13日日曜日

わたしたちの信仰

父の遺稿第三講には 私達の信仰について述べられています。

これを読みますと父の信仰があの若き日に「主イエス」を著した頃からまるで定規で引いた一直線のように一つの信仰で貫かれていることが分かります。
それは『キリストの死と甦り』の信仰です。
そしてこの講ではそれを信じることの真の意味が説かれています。

父は三十代の頃『キシオン川の奔流』と題して物語を記しました。

これはキリスト教誕生の物語で、父は「私の70年の信仰の旅がこの短い物語から生まれている」と語っています。
「お前の殺したナザレのイエスは、蘇って俺たちと一緒にいる」
この人間の知識や、知恵を超えた歴史の中の事実、これはキリスト教発生当時、 キリスト教という言葉はなくて、世界のあらゆる宗教と区別して、「福音」と呼ばれたのです。
世界の「宗教」が人間の最上の知恵によって生み出されたのに反して、キリスト教は「神様が歴史的実在のナザレのイエスによって成就された驚くべき技の信仰である」と、父は語っています。

興味深いエピソードがあります。

父は、青年時代、大学生活の最初の休みに、家に帰り、父親に「大分、キリスト教も分かってきたから、キリスト教を土台にして、色んな宗教の良いところを取り入れて、「八代教」というものを創ってはどうかと野望を燃えて語ったそうです。
そのとき、祖父は聖書の中の
「キリストの故に、私はすべてを失ったが、それらのものを、糞土のように思っている」(ピリピ人ヘの手紙3:8) の箇所を静かに開いたそうです。
祖父が、佐竹藩、公の学問所であって御学館の館庁の長男であった身分も捨て、浄土宗の安念寺の檀家総代の家も投げうち、キリストにひざまずいたということは、確かに聖パウロの心境と同じく、キリストを得たことによって失ったすべてのものを、糞土の如く思ったのであろうと語っています。
八代教を創る、これは父らしいエピソードですが、私が育った頃には、あまり語られることのなかった祖父が、父の中にゆるぎない信仰の礎を築いたことがよく分かります。
「なるほど宗教ならば私にも作られるでしょう。しかしそこには命がありません。神が驚くべきことを成し遂げたという事実がないのです。・・・・・・キリスト教の信仰は人間の努力、人間の英知でつかみ取るものではなく、人間の絶望の真中に、神が襲い給うものです。
つまり私どもの信仰は神がイエスというナザレ人をしてこのような驚くべきことをなされたということ、このグッドニュースに覆いかぶされることです」と父は語っています。 

信ずるということ 

昭和9年ごろ 父は神戸聖ミカエル教会で牧師として働いていました。
そこに 東京の神学校を出た有能な青年が、あちこちの主教や首脳部と喧嘩をして、とうとう聖ミカエル教会に父の補佐として赴任してきたのです。
素晴らしく有能な青年で、信者からは慕われ 月報を書かせると、豊かな才能を発揮する。父とその青年はすっかり肝胆相照らして、半年の働きを続け やがて復活日を迎えようとしていました。受苦日の三時間礼拝を終え、復活日を明日に控えた前夜、歓談の折、突然彼はえへらえへらと笑い出し、「商売とはいえ、今日までイエスを復活させるのは容易じゃないですね」といったのです。
驚いた父が、「お前、主イエスの復活を信じないのか」と聞くと
「オヤジさん、古いよ古いよ、そんなことは先生と僕の間でしょう。殻を脱いで裸になって話しましょう」というのです。
それから二人は夜の明けるまで話し合ったそうです。遂に青年は父に抱きつき、
「ああ、救われました。今まで僕は辛かったのです。どうしたって信じられないし、馬鹿らしいし、でも今は、本当に信じられるようになりました。これから真剣にバリバリやりますよ」
そうして彼はまたもとのミッション所属の伝道者として迎えられて、某教会に赴任して行ったそうです。
父がこの話を記したのは いかにこのキリストの死と復活という「歴史的事実」を信じることが困難であるか、そして主イエスを信じるものと、信じないものとの間には、その行動に違いがあることを伝えたかったのでしょう。 

さて父は若き日に「主イエス」を執筆しましたが、それは日独書院の懸賞論文でした。第一位に入賞した人は 主イエスの復活を賛美の頌のようにぼかしていました。
審査員の一人が後に父に話したそうです。
「惜しかった。きみのは素晴らしかった。落ちたのはあまりにも主イエスの復活を高調しすぎたことだ」
 
時代は、主イエスの復活に疑念を抱く自由主義の時代になっていたのです。

歴史的人物、人間イエス、あるいは抽象的にキリストを見つめたり、処女マリアの聖霊降臨を疑ったり、昇天の主がぼかされたり、法王職や主教職に対する批判が叫ばれる教会変革の時代に、根底から主イエスの復活を見つめなければならないと父は語っています。
主イエスの復活は、信仰告白で単に「三日目に蘇り」と唱和するものに終わってはならないのです。
キリスト教が単なる宗教でなく、神の驚くべき福音であり、グッドニュースであるということ、それは 今、現実にある教会制度を持つ宗教団体の中にあって、キリストの蘇りを信じるものが、違った人間として行動するのでない限り、イエスの復活を信じようが信じまいが問題となりません。現在、若者達に変革が叫ばれている教会に在って、残るものはイエスの復活を身に帯するものだけに限られるのです。 

それでは イエスキリストの復活を身に帯するとはどういうことなのでしょう。

唯一の救い主

世の中にはなんと多くの救い主が存在していることでしょう。もろもろの宗教の教祖たちとイエスとの関係はどうなのでしょうか。
「神は昔は、預言者たちにより、いろいろなときに、いろいろな方法で先祖達に語りかけられたが、、この終わりの日には、御子によって、私達に語られたのである」
このヘブル書の作者がいうとおり、神は終わりの日には主イエスによって語りたもうのです。それが主イエスの蘇りです。しかし このイエス様の生涯、死と蘇りはとうてい理性によって信じがたいもの、人間の思考を飛び超えているものです。ですから これは人間がその知恵で知ることの出来ないもので、神様の驚異的な語りかけ、神様に襲われてはじめて信じうるものなのです。
このようにキリスト教は徹頭徹尾、超自然的な信仰であり、福音です。
けれどもまた、このキリスト教、この福音ほど現実的なものはないのです。神による人間救済の道、神の驚くべき御業、それは二千年前(歴史をB.CA.Dに切り離したとき)という「時間」と、ユダヤのベツレヘムという「空間」において歴史的実在者によって成就されたのです。
これを他の宗教と比較してみますと、あるものは時間と空間を越えた抽象的観念であり、一方はあくまでも現実の功利に基づいたものなのです。

現実的なもろもろの信仰

人が人として生きるには意識の違いがあるにせよ、何かを「信じる」ということによって営まれるものです。人間はその生活の起居から就寝まですべてが無事であることを信じて生きているのです。
同じ信じ方でも『そんなのは当たり前だ』というのと『神様の御摂理で』というのとでは違いが在るのです。そして『当たり前だと信じた』ことが人生ではしばしば『むなしい』ものとなります。そこに不動の信仰を求める人の心が、時代を超越した願いとなり、悲願となるのです。しかしそれは単に観念的なものであっては意味を持たないのです。
それは正しく現実を踏まえながら、それを乗り越えた不動のものへと導かれねばならない。それがナザレのイエスなのです。
このようにキリスト教は分かるものを踏まえて、人知を越えた分からないもの、上から襲われねばならぬものへと昇っていくのです。 

「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び分かたれ、召されて使徒となったパウロからーーこの福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば死人からの復活により、御力を持って神の御子と定められた。これが私達の主イエスキリストである」(ローマ人への手紙1:1-4)

下から上へ昇る道

このようにキリスト教は人知を越えた超自然的な信仰であり、理解することも出来ない絶望の中で、神が襲い掛かることによって与えられる信仰なのです。それは神の恩寵であり人間の回心です。
アメリカの心理学者 ウイリアム・ジェームスは それには二つの型が在ると語っています。
ひとつは ワンスボーンと呼ばれ 素直に素朴に信仰し、教会の使徒信教を唱え、長い間、信仰生活を築くもの
もう一つはトゥワイスボーンと呼ばれ、聖パウロ、アウグステイヌス、ルーテル、ニューマンなど劇的な回心が起こった事例です。
時に劇的に、時に静かにこれらの回心は受洗礼者にも未信者にも襲い来るものなのです。
キリスト教が「死んで蘇る」「罪に死に義に生きる」と伝えるのは、洗礼式の時のみならず、私達が日々信仰生活の中で、この自分に死んでキリストに生きる、十字架と復活の生活が続くということです。
それは科学的に証明される合理的なものでなく、またなるようにしかならないといった偶然的なものでもなく、造り主なる神様の摂理にすがりながら、自らに死んで、神様の聖旨に生かされていく、其れがクリスチャンの生活なのです。
淋しさにある時に慰められ、絶望の淵にある時に良き羊飼いである主が襲い掛かってくるという生活なのだという父の言葉の中に 自らは多くの人の淋しさを慰め、絶望を希望に変えて来た父のえも言われぬ淋しさ、自らの生涯をささげた教会と教育事業の造反や団交という混乱に対する絶望にあって、襲い掛かる神の恩寵にすがり救われた父の姿が感じ取られてなりません。


2014年3月28日金曜日

神の審判としての歴史とキリスト教倫理


神の審判としての歴史

歴史とは何か

歴史とは神と世界と人間の営みです。
人間がその始めより終わりまで自らを越えている存在である神とその存在する世界で、その時、その場所で折り交わされたものが歴史です。
したがって人間は何時の時代にも神について語ります。
自然科学や合理主義の発達とともに神は様々に論じられ、否定されたり、肯定されたり、分析されたりしてきました。
しかし人間が分かっていることは、
神はいる、しかし捉えることが出来ないということです。

神はいる、でも分からない、これは人類の始めからの定理なのです。
中世期にモリノという修道僧が神認識の困難を語っています。

では神は何故分からないのでしょうか。

第一に言葉の不完全ということです。
相対の世界に住んでいる人間言葉で絶対世界の神様を語ることは出来ないのです。

第二に人間の知恵の頼りなさによるのです。ニュートンはりんごの落ちるのを見て引力説を説き、ガリレオは地動説を説いて地球が太陽の周りを回ることを説きました。しかしニュートン以前にも引力はあり、ガリレオの前にも地球は太陽の周りを回っていました。人間は神の創造された世界を懸命に学び取ろうとしているだけなのです。

第三に純潔、無垢、至聖である神の前にいかなる人間も等しく罪人であることです。
すなわちどれほど高潔な人間でも至聖の神に届くことは出来ないのです。

では人間が神を知る方法はないのでしょうか。

その唯一の方法は、人間が自分で神を知るのではなく、神が人間に襲い掛かることによってのみ可能となるのです。

故に人間は、神は分からないということをはじめに知らねばなりません。

しかし それなら神、世界、人の生み出す歴史もなくなるのではないかと淋しくなります。そこに神の「啓示」が在るのです。啓示とは神様が一つ一つに身につけているものを脱いで、ご自身をあらわしたもうことです。

その第一が自然です。大自然の美しい姿、神々しい風景、天に昇るような崇高な感覚は神が表されるご自身の姿です。

第二の啓示は 「歴史」です。創世記第一章、第二章における神、自然、人の美しい統一は第三章においてその調和が乱され、ここに裁かれた歴史が始まります。

神と自然と人との統一の乱れはノアの箱舟、バビロン、エジプトの興隆と衰微、そしてローマ帝国の統一まで押し流され、やがて主イエスの降臨を迎えます。

「時満に及んで、神は御子を女から生まれさせ、律法の下に生まれさせて、おつかわしになった」(ガラテヤ書 4:4)

自然界を通し、歴史を裁きつつ自らを啓示し給うた神様は「時満るに及んで」つまり ヘブル書の記者の言う「この末の世」に、御子イエスキリストによって、私達に語りかけたまうたのです。つまり、主イエスのご降臨まで、神様は様々な方法を用いてご自身をあらわされましたが、二千年前、ユダヤの国に生を受け給うた御子イエスによって、ご自身をあらわされたのです。

イエス・キリストなる歴史的実在の降臨によって、世界の歴史はま二つに割れ、紀元前と紀元後とに区分されました。

このようにイエス・キリストによって神の御心があらわされたのですが、それは残された二つのものによってです。

一つは、神の御言葉です。つまり、イエス・キリストを予言している「旧約聖書」および、イエス・キリストの生命を、世界のもろもろの出来事の中に具現してきた「新約聖書」です。 世界のもろもろの出来事は神の御言葉によって判断されるのです。

もう一つは教会です。教会は主なるキリストの御からだであり、この地上に存在し、私達に神の御言葉を語るのです。

しかし歴史は、キリスト教が国教となったローマ帝国、教会が社会問題の決定権を持った中世を経て、ルネッサンス、宗教改革、産業革命と続きます。これらは 文化、経済、社会の変革を起こし、ここに教会と一般社会の断絶が生まれて来ました。 そして様々な文学の世界に表されるように、人間は、戦争、失業、混乱、労使問題、自然と人間、経済成長と不況、産業革命、性の問題、飲酒、人権、搾取と暴力など様々な問題を抱えることになるのです。

キリスト教倫理

聖書には、夫婦、主従、市民、政権に対する態度、貧者への慈善、食物への指針などが記されています。特にパウロの手紙は前半が教理的、後半が道徳律のようになっています。

しかしめまぐるしい時代の変遷は、キリスト教倫理学の混乱を招いています。

戦争、産児制限、妊娠中絶、性の問題などは宗派や学者によって様々な解釈がなされています。

多くの学者によって様々な論争、論議、解釈がなされても、つまるところ人間は、その一番神聖な行為すら。神の前には罪の醜さに満ちているのです。灰になるまで救いの保障などないのです。

「私はなんという惨めな人間なのだろう。誰が、この死の体から、私を救ってくれるだろうか」この心境に尽きるのです。

キリストと私の対面

特定の時間と空間の中で生きている私どもは、自分達の経験しつくした事件、たとえば、戦争、性欲、貧困、人種差別などさえ 新しい混乱を生み出してまいります。まして国際間の安全保障問題、地球温暖化と原発を含むエネルギー問題など、どうして直ちに解決の言葉と道が導き出せるでしょう。

「私ども日本聖公会が、その百年の歴史で最も苦しんだのが、あの日本キリスト教諸教派を二分にして、一方をローマ・カトリック(当時、日・伊は同盟関係のようなもの)、他の一方(聖公会、ルーテル、バプテスト、メソジスト、組合、日本キリスト、そのほか)を一丸として、一つの教団とするという戦争前の事件、これは戦争につき物の、いわゆる副産物で、教会合同という美名の下に、国策遂行に役立たしめるものなのです。ヒットラーもスターリンもともに教会合同をあの当時実践したもので、東条内閣もまた、それを実行しようとしたのです。仏教には大谷光瑞という傑物が居て、東と西の合同に反対しましたが、キリスト教会は、あの手、この手と物静かに、厳かに、しかも執拗にせめられて、文部省稲田宗教課長が、「聖公会は雨と嵐に吹きさらされていますね」と口にした通りであります。外国宣教師は送還され、他の教派と袂を分かって、単立教会、まあ、体のいい秘密結社のように成り下がった私どもでしたが、一年たって昭和十六年九月二十九日、私の主教聖別記念日に、東京から畏友三浦清一君が現れ、九州から山口大司教も見られるという始末でした。

それまでの一年間、聖公会も一城落ち、また一城が向こうに寝返るというわけで、いわば残っていた私どもは、淋しい豊臣の遺臣のようなものでした。淀君の在さぬ残党です。教会内でも、合同しても信仰を失ったのでなく、かえって伝えられた信仰がそれによって維持できると主張するものがあり、また一方では、聖公会の伝統を正しく守ることこそ、神への忠誠だと主張するのです。分かれたもの、残ったものとの間の愛情の欠如は、反って憎悪の心をすら生んでいたのでした。

「どうやって分かれ去った人々と愛の交わりを保ちつつ、自らの信仰に忠誠で居られるか」が私の問題でありました。

時に三浦は一通の手紙を渡してくれました。 

「八代斌助大兄

冠省、非常に切迫していますので、あえて再び三浦清一氏を煩わして西下願いあげます。
何卒、尊兄一人の「男」の問題ではなく、キリスト教全体の大きな問題となっていることを御再考願いあげます。 教義の問題ではなく、「英米依存」を問われているのです。云々
                         賀川豊彦」
とあるのです。

一方山口大司教は慰めと励ましの言葉を下さるし、他方、賀川さんの切ない事情、軍部の圧力も分かっているのです。自分と一緒に闘う同労者やその家族を思いやり、わが身にまつわる種々の心労に、祈りとともに、「よし、三浦、賀川先生に、ご相談に応じます、と伝えてくれ」と同君を東京に送り返したのです。

ところがその晩、寝られないのです。

『クオヴァデイス』のローマ公害に逃れんとしたペテロに、「どこへ行く」と悲しくも迎えたもうた主イエスの御姿が見えるのです。あの主イエスをあざむいたペテロの苦悩、バシル、ケレー、そうした先輩、父や日本の同心の友への反逆、もうくたくたになってしまったのです。

早朝、袴田司祭を呼んで懺悔し、早速電報を賀川先生に打ち、憲兵隊にも「お断り」の報告をしたのであります。何もキリストを捨てたのではないのに、こんなにも信仰とは煩雑なもので、個人的なものかと肌身に染みたのです。いわば、イエス様がどう思われるかが問題です。他の人とイエス様ではないのです。

「主よ、この人はどうなのですか」(ヨハネ21:21)ではないのです。このペテロの言葉、「この人はどうなのですか」は、信仰の世界に存在し得ない言葉です。合同する人が良心的にイエスを仰いで、それで安心してるかも知れないのです。こちらはそうは行かないのです。是か非かの問題でなく、証と罪の問題でもなく、はるかに高く、それで居てはるかに現実的です。

「クオヴァデス(どこへ行く)」とのたもう主イエス・キリストとの対面なのです。 

したがって私は、袂を分かった新教の諸兄弟とも仲良くし、さらに聖公会内部の別れた兄弟とも愛の交わりが続いています。なぜなら私にとって問題であったのは、イエス様との愛の交わりだけだったからです。そこから出てくる対人関係は、自然に「敵をも愛する」ことになるのです。敵というのはこの世のつまらぬ区分だけなのですから。 

結局、キリスト教倫理とは、これただキリストと和らぎの心で対面しうるかどうかにかかっているのです。

このことは数年続く大学紛争でも同じです。処罰されんとする学生に対して、

ー犯罪は社会組織の不合理に対する抗議であるという立場。

--君子あやうきに近づかずという自らを守ろうとする態度
つまり良きサマリア人のたとえ話の祭司の卑劣な態度

―まず罪のなきもの石にて打てといわれた主イエスの言葉(ヨハネ8:7)

ここで、わたしどもは はっとして驚き、イエスの顔を仰ぐのです。そのまなざしの向かう罪人に対面するのです。救わねばならぬひとりの友の前に、はたして私どもは、あの道の向こうを通った祭司ではなかったか。

「イエス様ならどうなさるのだろう」と考えるとき、その相手の上にかがみこむ主イエスを見出すのです。

こうしたあらゆる社会問題にぶつかるとき、私どもはまず「ああ、おれは、はたしてイエス・キリストをまともに見られるだろうか」と胸に手を置くことです。司直の裁きがどんな判決をその本人に言い渡しても、職員会議、教授会がどんな決定をくだしても、私どもはイエス・キリストを仰ぐと同じ心の和らぎを持って、その本人を見つめえられるかが問題なのです。それ以外のものはどんなに紳士的であっても、どんなに論理的であっても、結局はその相手に自らの恥部をさらけ出しているだけなのです。 

結論

キリスト教の信仰は、「聖霊によらなければ、誰も『イエスは主である』という事ができない」と聖パウロが語るように、私どものもろもろの信仰を超えた上からの恩寵によって捉えられるものです。神の大いなる技、キリストの死と復活を信じたものは、自分もそのとおりに「死よりの甦り」を日ごとに体験するものであらねばならないのです。キリスト教にはキリスト教倫理など存在せず、神様の愛に包まれ、我がうちに住みたもうイエスの生命と愛が自然に湧き出てくることなのです。

完全な主イエスへの服従、そこに一切の人間関係の和解と愛とやすらぎが実現するのです。

 

 エキュメニカル運動が常識となった現代では、戦時中の父の非合同は奇異に感じられるかもしれません。しかし歴史の中で見つめるとき、先の戦争の戦勝国の宗派であった聖公会(アングリカン、エピスコパリアンチャーチ)を軍部の圧力から守り抜いたという事実は、大きな意味を持っていました。父は聖公会であったマッカーサーから戦後の復興の協力を依頼され、戦後の世界に和解の使者として赴くことになったのです。まさに神の摂理を感じます。

それから25年、天に召されるまで 父はエキュメニカル運動に尽力しました。大阪万国博覧会にキリスト教が一つになってパビリオンを出し、父はその館長を勤めました。しかし今度はそのキリスト教合同の事業に対して、新教からの反対や聖公会内部の造反に苦しめられました。

創世記第三章で神と世界と人の調和が破られて以来、人類の歴史は悲しくも常に不調和であることを感じずにはいられません。

 

2014年1月15日水曜日

公害

父の遺稿となった著書の中に『公害』について記されたものがあります。1970年父が天に召された年、父は大阪万国博覧会で宗派統合のキリスト教館を出し、その館長を務めたました。私は遠く宮崎に離れていて知らなかったのですが、万国博出館は反対運動も激しく、また キリスト教内部の造反にも苦しんだようです。生涯をささげた教育事業における教職員団交とともに 父の命取りとなったことは疑えないでしょう。
今、日本中が原発事故と放射能問題に苦しんでいるとき、生前の父が「公害」に対してどのように考えていたかを知ることは意義の在ることでした。
父の遺稿を判読することは難しく、これは紹介するというよりは自分で理解するために記したというほうが正しいです。もし理解に誤りがあればご了承いただきたいです。

「公害」・・・・・・・・・・・・・・・・・                  

文明の発達が公害を引き起こし 世間を騒がせるようになって久しい。
自動車、電気製品、石油の恩恵に浴して、ビニールやプラスチックや女性の靴下に至るまで、石油の恩恵に浴してきたものが、いまや、一切のものをのろわなければならない時代となりました。
今は「原始に帰れ」という叫びがあちこちに聞こえます。
この「原始に帰れ」というのは「人間の生活を逆行せよ」という だけでなく、 もっと人間の生活の根本に触れたところからはじめねばならないということでなのです。
来年度(1971年)の教科書小学校五年下に表された公害の記述を見てみましょう。

産業の発達と公害
最近わが国の産業は、目覚しい発達をしています。大型機械や新しい薬品を使う農業、石油化学コンビナートや新しい工業都市の誕生、高速道路の発達など、色々数えることが出来ます。ところがその陰に、人々の生活をおびやかす、困った問題が起こってきました。たとえば工場の煙突から出る煙やガスのために多くの人々が悩まされています。鉱山や工場で捨てた水の中に、害になるものが混じっていて、川沿いの人々や河口で漁業を営む人々を苦しめているところもあります。また 大都会では、激しい交通による騒音や、排気ガスが問題になっています。このように、工場や人々の働きが、いつのまにか、一般の人々に害を与えることを公害といいます。どこにどんな公害が起こっているかを、新聞記事などで調べてみましょう。
大気の汚れ
四日市喘息
三重県四日市市に出来たわが国最初の石油化学コンビナートの石油化学工場の煙突から出る亜硫酸ガスにより喉を痛める人が増え、その病気を四日市喘息と呼ぶようになりました。
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このように、産業を発達させることが、かえって、人々のしあわせな生活にとって害になるような問題について、しんけんに考えなければならない時代になっているといえます。
川の水の汚れ
熊本県の水俣湾で、そこで取った魚を食べた人が、脳をおかされて死ぬという病気が、1953年ごろから起こりました。また11年後には、新潟県の阿賀野川の川ぞいでも、同じような病気が起こりました。この「水俣病」の原因はなかなか分かりませんでしたが、大学や国で、ねっしんに調べた結果、付近にある化学工場が水の中に捨てた水銀のためだと分かりました。そこで工場は水銀が流れ出ないようにする努力を始めました。
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地盤の沈下
工場で使う水や、ビルの冷房のために地下水をたくさんくみ上げると、その付近の地盤が沈下することがあります。これも公害です。・・・・・・都市の中に在る公害
ビルがたくさん集まる大都市の中心部では、暖房に石油が使われるようになって、亜硫酸ガスが大気を汚しています。交通の激しい交差点の近くでは、自動車の排気ガスが大気を汚しています。また下水が川の水を汚しています。

公害を防ぐ努力と問題
公害を防ぐには、まず、工場・ビルなどがそのための努力をしなければなりません。しかし、煙の中の塵を取り除いたり、ガスを出さないようにしたりする装置や、汚れた水をキレイにする装置を取り付けることや、地下水を使わないで水道水を使うことは、いずれも多くの費用がかかります。特に、小さい工場では、装置を取り付ければ、その費用のため、工場が立ち行かなくなる場合もあります。そのため、工場や会社では、なかなか装置を取り付けることが出来ません。
国や県や市でも、この公害の研究や調査を始め、真剣に取り組んでいます。そして色々な決まりを作って、取締りや指導を強める一方、公害のために病気にかかった人を助けるようにしています。けれども『公害を防がなければならないが 工場が潰れては困る』というようなことを考えると、その取締りを、十分に行うことが、なかなか出来ません。
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以上、実に良く纏めてありますが 問題なのはその結論です。
「公害は防がなければならないが、工場が潰れては困る」
これは小学校生徒の心にはあまりにも難しく、国を挙げて命がけで闘わなければならないことなのか、工場に都合が悪いから止めておこうというのか不明で どんな賢明な人でもこの問題の解決は容易ではないということなのでしょう。
ですから、この問題を考えるとき、まず自然と人間と、人間を取り囲んでいる生活に目を向け、天地創造から 神、人間、世界、人間の関係にまで立ち戻らなければなりません。それが原始に帰る正しい姿勢です。

心の公害
公害というものを広く人間を襲う様々な災害とかんがえると。。
人の世に災害はつきものです。美しい自然が、屡々私共の生活に脅威を与えることは、天地創造以来の人間の悲劇です。
聖書によると、神の造りたもうた自然界が、人間を中心に、美しい統一、秩序と聖書の美をかなでていた時代は、創世記第一章、第二章だけです。
第一章では 神は天地を創造し、最後に自分の形に似せて人間を造られ、おつくりになったすべての物を人間に与えられ、神、人、世界の関係に、統一と秩序と聖善の美の姿を見給うた。それが「はなはだ良かった」のです。
第二章では天地創造については簡単で、人間創造が具体的に書かれています。神は土の塵をこねて人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きものとなった。この人間は、エデンの園という素晴らしいところで、美しい、食べるに良い果実の実る木の下で生きていた。ただ一つ 善悪を知る木の実だけは食べてはいけないと、言われた。続いて 神は人が一人でいるのはよろしくないと、助け手を造られた。神は男を深く眠らせ、そのあばら骨を一本とって、そのあとを肉で塞がれた。そしてそれを男のところに連れてこられた。男は驚き、喜び
「これこそ、遂に私の骨の骨、私の肉の肉、男から取ったものだから、これを女と名づけよう」
美しい女を見て男が最初に口にしたのは詩でした。有限の世界に無限の意味を表す「詩」が生まれたのです。
そして「人はその父と母を離れて、結び合い、一体となります。
ところが人間は困った被造物で、神の恩寵にそむきます。そして『神と人』とのけじめを失った人間は、悪魔(蛇)に誘惑されます。その結果、女に冒険を教え、女は男を共犯に導きます。かくして人は「賢く」なり、同時に「恐怖」に襲わるようになるのです。
それが人類に、母なる大地に汗を流し、労働と災害に悩む運命をもたらし、さらに兄カインが弟アベルを殺すという犯罪を生んでいるのです。自然界にさいなまれた人類は、自らの構成した社会に苦しむ身となったのです。
かくて人類は貧困、病気、犯罪そのほかあらゆる社会悪によってその幸福をさいなまれ、無限に生まれる苦難の道に苦しむことになります。

地震、雷、家事、親父
日本では、人間を苦しめ悩ますものを地震、雷、火事、親父と称したことは実に妙を得ています。
地震・雷・・・自然界のもたらす公害
火事・・・社会問題としての公害
親父・・・人間関係がもたらす公害

地震・雷の中には暴風雨、水害、津波、旱魃などの自然災害が含まれます。
火事は今日叫ばれている社会的見地からの公害の脅威です。
火事は一個人の過失かもしれませんが、社会的公害は深刻で 昨年(1969年)一年間の神戸市に対する公害陳情の抗議が700件に及んでいます。騒音、煤煙、大気汚染、悪臭などです。
水俣病、イタイイタイ病などもこれに属します。
第三の親父は 自分を取り囲むありとあらゆる人間関係の支配を受ける現実を指摘しています。

公害が今日のそして未来の文明を阻むものとして、70年万博と平行して開催される多くの国際会議の中でも重要な部分をなしており、1970年3月12日に開かれた「公害問題国際シンポジューム」ではその宣言の中で次のように述べています。
『良い環境の中で生きることは人間の基本的な権利である。公害はあらゆる社会に生きる人々の幸福を直接に脅かしている』
しかし果たしてその対策があるのか、それが問題なのです。なんらの対策もないとすれば、無分別な学生達の裏づけのない問題提起の突き上げを責めるわけに行きません。それには公害対策の歴史的推移をつかまねばなりません。

一般社会の対策
魔よけ
元来、人間にとって 自然界が人間に及ぼす災害のみが、人類の関心事でした。そして地域、時代、各種宗教の区別を超えて、根強く生きているのが神(仏)の罰に対する魔よけの習慣です。
「罰」という考えは案外根強いもので、その罰を避けるために、魔よけの行事によって神(その存在の有無を論ずる前に)への祈願となってきたのです。この根強い魔よけの風習(神仏への厄除けの祈願)は時間と空間を越えて根強く人間を支配してきたのです。

科学者達の主張
先日ドイツの在る会社が百億円を超える賠償を公害の被害者に支払ったと『朝日新聞』が報じていました。これは日本では驚かれるのが一般です。これはヨーロッパと日本の社会教育の違いでしょう。ヨーロッパでは、イタイイタイ病や水俣病などは公害ではなく犯罪と考えられているのです。
某クリスチャンの学者は
「古代中国の弆、舜の時代から、政治の目標に、治山、治水、すなわち環境改善による民生安定があった。近代の政治においても、その機構や方策に進歩があり、利害関係が複雑になったとしても、国民の福利向上をその目標とし、そのために環境改善に努めることが政治家や行政者の義務であることに変わりはないはずである」(中央公論1970年5月)
しかし「公害」が政治、経済に直結している今日、科学者達は論じても安全な他の国の公害を研究し、批判しています。
そして科学者が「これは危険だ、人体に悪い」といっても 政府も企業団体もそれを聞けないというのは不思議なことです。
今日の経済成長ならびに日本の素晴らしい工業化、日本の大衆がこれほど高度の文化生活が出来る、その恩恵に浴したのは、科学者達のもたらした科学の進歩によります。企業団体が科学者を尊敬することによってもたらされた企業団体の繁栄は 
科学者がこれは駄目だ、身体に悪いといった場合、企業団体が何故科学者の言うことを聞けないのかーーそれが問題なのです。
自分の会社の利益にプラスになる場合には、科学者を尊敬し、利用し、自分の会社に損益を与える場合には、人命の尊重などは無視し、科学者の主張に耳を貸さないという恐ろしい事態が起きているのです。
ヨーロッパ家庭電器器具協会連合会会長ジョセフ・バージルは「人間回復の経営学」http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%9B%9E%E5%BE%A9%E3%81%AE%E7%B5%8C%E5%96%B6%E5%AD%A6%E2%80%951980%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85%E5%83%8F-1969%E5%B9%B4-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%AB/dp/B000J6KP5Uの中に
「企業団体の管理者と経営者には、人間性を形成している童話、神話、野外の散策、窓外から眺める牧場の群れの安らぎ、音楽によって充たされる心、文学によって深められる人生観、時によって高められる思考の技、瞑想のひと時によって安らぎを覚える心、さらに何ものにも増して神との交わりの祈りの一時、そうしたものが必要だ」と語っています。
経済的な価値が、もろもろの価値、愛情、交わり、そのほかのものを国民に与えるのだという考えを改めねばならないときが来ているのです。
企業家たちの根底に在る貪欲な私利私欲の心は、自己の企業の繁栄のために、多くの犠牲者が生まれても、それを黙殺してしまうという恐ろしいことになってきているのです。
私どもクリスチャンは、富める者とラザロの話のたとえ話が今も生きていることを知っています。
来世においてこの富める者は、『私はもう駄目です。でもどうか私の五人の兄弟に、こんなところに来ないようにラザロをやって警告してください』と願っているのです。
死後の魂が、霊的に、道徳的に進歩していることをみて、私どもクリスチャンは無情な企業家たちのかすかな良心に愛のまなざしを向けることが必要なのです。そこに初めて人類の進歩があるのです。あたたかく人を抱く手と、愛のまなざしを示す目によって、このたびの万博キリスト教館設立の意義を見出しています。
公害を生む企業団体をなくしても、公害は止みません。もし破壊経営学というものが成り立つとすれば、万博は、始めから破壊するために存し、破壊しながら、企業団体の目的を反省させて、新しいものを生み出そうとする意図に、その手を持ち替えてくださいと私は祈るのです。
若い宇井教授にこのことを申し上げた上で、同君の怒りをここに記します。
「・・・・
十年なら十年、もう経済成長なんてことを言わず、今までたまってきた膿を徹底的に出し、ゆがみを正して、さて日本をどっちに向けるか考えてみたらどうか。公害は、住民にとっては'待てる'というもんじゃないんです。この工場を取っ払うか、こっちが死ぬか、のっぴきならぬ問題でしょう。また、そういう直接的でのっぴきならぬ問いかけをしなければ、事態は動いたためしはなかったでしょう。
だから僕は、やっぱりダイナマイト奨励しますね。経営者側が何か考えるって言うんだったら、こちらも真剣に相談に乗りますが、垂れ流しで、今までの道をこのままいらっしゃるなら、こちらも火炎瓶かダイナマイトで行くしかありませんからね(宇井純氏)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  
八代学院大学の河音能平助教授達と人間学的見地から勇敢に発言している梅棹忠雄教授は、もっとおだやかに、しかも根強い提言をしています。
「本来なら企業というものは、個人が自己の情熱をかけて仕事をするための道具、すなわち箱なのですよ。企業はその箱を提供しさえすれば良いのですね。それが企業の存在理由なのです。サラリーマンは、その箱を次から次へと移って、より高い目標に向かっていくようにならないと生きがいなんてとても考えられないですよ」
学者達もクリスチャン以上の勇気を持つようになってきました。なにかの変革はクリスチャンの世界の外で動き出しています。

キリスト教会の公害対策
既に記したとおり、「創世記三章」に既に人類の公害は発生しています。したがってキリスト教会の公害対策は、預言者たちが当事者に問題解決を迫ってきたのです。
自然界のもたらす公害、人間関係の公害、人種差別、労使関係の公害に悩んだモーセに与えられたものは、『出エジプト記』第20章5-6節に記されています。この律法を与えられたイスラエル民族は、誰しもが因果応報を心に抱いたに違いありません。
「神様の御心にかなったものには、誰しも子々孫々に至るまで恩寵を与えられ、これに反して悪の結果は子々孫々に至るまで、罰となって報いられると伝えられているかのようです。
でもキリスト教の教えは、いつもその時代に対応するように備えられてきたのでした。
バビロンに幽閉されたイスラエル民族には
預言者を通して
「お前達の苦しみは分かる。でもそこから離れるためには、君達の今の苦しみを先祖の罰が当たったと思ってはならない。自分の苦難については自分の主体的な責任を反省しながら、正直にぶつかることだ」と教えています。

ヨブは悲壮にも叫んでいます。
「何故正しいことをしている俺に罰が当たるのだろう」と。ヨブの心は人に知られぬほどの絶望があったのです。これは財産を失ったとか、身寄りのものがけなされたとか、病気に苦しんだとか言うことを超えています。
つまり
神様に捨てられた
神様に見捨てられた
神様とともに居ることすら許されないというのかという淋しさなのです。それはヨブのつかんだ『罰当たり』という悲壮な淋しさなのです。
さてこのような旧約時代の公害対策の思索の旅は主イエスキリストの降臨によって、新しい時代を迎えます。
イエスは。神様と等しく在ることをやめて、十字架の贖いを持って、当然罰当たりの運命に在る人々を救いたまわんとなさっておられます。
しかしイエスはシロアムの塔が倒れて犠牲になった18人の事件に際しても、「お前達は あの犠牲になったガラテア人よりも正しいと思うのか。お前達だって、悔い改めて神様と結びつかなければ、同じように滅びるのだ。おなじことはシロアムの犠牲者18人だって、エルサレムの全住人以上に罪が深かったと思ってはならない。同じ運命は悔い改めねば皆におきる」と教えられています。罰が当たらないと宣言しているのではないのです。
イエスキリストの降誕によって罰当たりの人類が贖われたとしても、罰当たりの包含している根源的な意図だけは大事にしなければならないのです。
教会の歴史を見れば、時折訪れる重大な時期に、神様は驚くべき力を、いかにも罰当たりの'如く実現されています。

言い換えれば 主イエスはあらゆる公害に対して、主体的に各人がそれに対応し、人に責任転嫁することなく、自らを反省し、蘇りたもうたご自身の力を抱いて、苦難を契機として、神との交わりをいっそう強力にすること、いわば人類の最大の幸福は神とともに在ること、主イエスご自身の来臨の目的であるインマニュエル(神ともに存す)なる福音をつかむことを命じたもうているのです。
さて 教会歴史を見ますと公害に対する対策は五世紀になって、マメルトウス主教によってはじめられた「嘆願」というものの誕生に、その道が示されています。
五世紀のヨーロッパの事情は、不作が続き、地震がつぎつぎに人々の心に不安を与え、蛮族の侵入が人身に脅威を与え、天災の副産物として現れた疫病は、遂に教会を一種倍餐に至らしめたのです。
ある復活日の朝、マメルトウス主教はニースの大聖堂で聖餐式をしていました。聖別の祈祷がすんだ後、突如ガラガラと地震が起こり、聖体に覆いかぶさるように跪いた主教を残して、全会衆は窓から、扉から逃げ去ったのです。マメルトウスは祭壇に跪いて祈りました。
「ああ、何者にもまして、神様への祈りが足りなかった。天に昇り、我らの祈りのとりなしの主の日、ご昇天の日の前の三日間を会衆とともに代祷の日としてささげよう」これが教会が、昇天日前主日を「ローゲーション・サンデーと呼び、月、火、水を祈祷日と定めたゆえんであり、同時に司式者と会衆が野外に出て行進を続けながら
「雷電、暴風、洪水、地震、火災、疫病、飢饉、戦争、凶殺、急死より」と牧師が叫べば、
「主よ救いたまえ」と会衆がこたえる「嘆願」という成分祈祷となったのです。
その行進を始める前に
「主よ、我らと先祖との咎を思いたもうことなく、また我らの罪を罰したもうなかれ、憐れみ深い主よ、尊き血にて贖い給いし民を赦し、世世怒りたもう事なかれ」と叫び、会衆は「主よ、赦したまえ」と応えるところからはじまるのです。
「願わくは 地の産物を栄えしめ、これを守りて我らの用に当てたまわんことを」と司会者はその地を祝福し、
会衆は「主よ、聞きたまえ」と応じるのです。

結論
公害問題は今日の国際的な話題の最も大きなものとなり、世界中がこの対策に苦しんでいます。特に、日本において、政府、企業団体、科学者、そして国民の四つが命がけで取り組んでいる大相撲なのです。
ここで政府に要望することは、正しいことを行う勇気であり、企業団体には、ひとりの生命が一会社存続以上に尊いものであるとの良心的な見解、科学者には、はっきりした学問的根拠を語ることの出来る自由と勇気を、国民には、公害公害と旗を立てて歩く者が居る一方、これまた自らの私利私欲に土地の値上がりを願う卑劣な心を捨て、正しいことを正しく主張する主体的な行動が要求されるのです。
官庁もまた 将来性のない都市にあっては、大企業の資本によって、住民の他都市への流出を防がねばならず、複雑な問題を孕んでいるのです。
『公害防止の費用を国と地方自治体と企業がいかに分担するかを議論しているが、われわれの税金を一部の企業のために使うなんて筋が通りません』と主張する学者も居ます。
事実 イギリスではこの主張、企業団体の負担は常識になっています。けれども 正論が具現されるためには 長い社会教育が必要なのです。つまり、『人間』の問題にまで立ち返らねばならないのです。一人ひとりが、自分を見直さなければ成就されない問題なのです。
公害の真の解決には 良心的な、信仰的な祈りがもとめられるのです
企業家には良心を、科学者には恐れなく正しい研究を探求する英知を、国民一人ひとりには、友への愛情を、一日一日積み重ねていくとき、そのときにこそ公害問題対策の糸口を見つけていけるのでしょう。
大阪万博に平行して プラザホテルにおいて もう一つの国際会議が開かれました。それは新加盟国南ベトナムを含め二十四カ国の紡績教会が加盟する「国際絹および繊維産業組合の会議」です。その開会式は 日米の繊維問題が先鋭化したこのときにも、美しいムードを生み出しているのです。
それで思い起こすのは1947年、私が、戦後最初の欧米訪問にてこの紡績会の改革者、産業革命の大立者、紡績機械の発明者 サムエル・クロンプトンの教会を訪れたときのことです。
彼が、今世界中の紡績会社が恩恵を受けている紡績機械の発明に打ち込んでいた頃のことです。市民はこの発明によって何十人、何百人の失業者を生むのだと騒ぎ立てていました。クロンプトンは、妻とも家族とも別居して、こつこつと機械の発明研究に没頭していました。教会もこの発明によって多くの人が失業すると攻撃しました。彼はその機械が破壊されることを恐れ、民衆の過激な攻撃からその機械を守るために、階段の板を一段ごとにはずして、夜な夜なその機械を隠しました。私がその一枚の板をはがして見ますと、
「主よ、もし僕(しもべ)の機械が人類の幸福をもたらさず、不幸をもたらすものならば 僕(しもべ)の命を取り去りたまえ」と書かれているのです。
崇高な聖者の祈りです。
さればこそ、この機械の完成によって、人類は幸福になりました。しかし、そこにもまた労使の闘争が生まれるのです。彼の心に反した一般人の心の悪がまたしても崇高な一科学者の発明に悲劇を生んでいくのです。
私のその日の日記には次のように記されています。
「『主よ、もし僕(しもべ)の機械が人類の幸福をもたらさず、不幸をもたらすものならば 僕(しもべ)の命を取り去りたまえ』
今夜の祈りとなったのは彼の祈りだ。それは永遠にこの世界を清めるであろう』
公害問題の叫びの中、万博の公害が云々されていますが、ただ一つ繊維のこの会議のみが、おだやかな心を宿しているのは「うべなるかな」といわざるを得ません。
日本の経済成長を見て、21世紀には日本が一番金持ちになると予言したハーマン・カーンの予言に対して、ドイツの小説家であり、哲学者であったロバルト・ユンクは三度目の訪日の折、次のように述べています。
「カーンの日本についての予言はきわめて確かなことかもしれない。しかし、一体誰が袋小路の中へ、真っ先に突っ込んでいくことを望むだろうか。 誰が混乱と人間性喪失への気違いじみたみた競争の先頭を切ろうと欲するだろうか。・・・この素晴らしい国が『零落』への道をしっかり歩んでいるのを、私は強く感じる」(読売新聞1970年4月6日)
私はここにクリスチャンの使命を肌で感じるのです。
戦後、何かが起こると大運動が展開されてきました。一つのものが二つにさらに分裂し、今では平和運動といえば一般市民はまた紛争かというイメージを持つほどです。
戦後様々の公害の問題も混乱と紛争を引き起こしましたが、同時に正しく神様の摂理の元に動いているという実感もあるのです。
聖オーガステインは、『人類が混乱の最中にあっても、神様は、世界と人類の創造の御わざのなかに、統一と秩序を保たしめ、その中に聖善の美を全うしたもうのである。それゆえに 混乱の最中にも、われわれの善意の積み重ねが、神の偉大な平和と愛の世界形成の礎となることを信じていこう』と伝えているのです。
同年7月10日、朝日新聞には北陸電力の火力発電建設の市の公害阻止連合会が結成され、その代表者に金沢女子短大助教授が選ばれました。そのために氏は同短大の退職勧告を受け、同じ学院に勤める父親も、進退伺いを出させられたという寂しいニュースが報道されています。
しかしまた一方東邦亜鉛安中精錬所の公害対策委員会は、他の委員会と異なり、通産省に働きかけ、精錬所の拡張認可を取り消させ、違法操業で会社を告発して勝訴したのです。
この対策委員長は 学校の理科の教員でした。 自らその仕事を辞任し、三年間の化学データーを集めて、祈りと断食によってこれを成就せしめたのです。
公害問題にあたり、関係するもの、一人ひとりの心に真実の安らぎをもたらし、また被害をこうむる人たちのために、祈りと奉仕と、強靭な力を持って立ち上がることが、われわれクリスチャンに課せられた道であることを思います。

2014年1月12日日曜日

2014年1月11日土曜日

八代斌助 その遺稿 礼拝に対する正しい姿勢

Memoir 八代斌助その福音を投稿した後、暫くの間 このブログを離れていました。それは 父の内面や思想を伝えることはあまりに難しく、この後は私だけが父を語るより、より多くの方の回想や感想を伝えたほうが良いのではないかと考えるようになったためでした。そして多くの方が自由に語り合える場として「八代斌助の広場」というブログを新たに立て、「回想の八代斌助」に掲載された各方面の方の父の回想録を転載させていただいたのですが、生憎もくろんだように盛り上がることなく、次第に筆が鈍っておりました。
ところが、昨年、父が創設した八代学院(現在神戸国際大学付属高校)の創立50周年記念の年となり、すでに学院内 すべての教職員のうち、父を知るものはいなくなりました。 そして、学校は、この記念の式典を「創設者 八代斌助を偲ぶ会」と定めたことから 私のブログが見出され 創立50周年記念誌にその全文が掲載されるという喜びを得ました。
そこで、再び初心に戻り 私の言葉で、私の目を通した父を語ることを続けていこうと決意を改め 当ブログを再スタートすることにしたのです。
久々に手にしたのは 父の最後の出版物となった著書「信仰、公害、歴史」でした。
これは1970年6月3日から7月8日まで神戸ミカエル大聖堂で六回にわたって行われた「信徒神学口座」の原稿と8月30日に大阪新阪急ホテルで国際ワイズメンクラブ日本区大会での講演を 義兄山口光朔が纏めて出版したものです。(このことに関して義兄にいまさらながら深謝いたします) 
父が末期癌で突然倒れたのが9月4日 永遠の眠りについたのが10月10日であることを考えると この働きはまさに驚異的であったと思われます。この貴重な遺書を微力ながら紐解いて行きたいと思います。
さてこの本は「礼拝に対する正しい姿勢」「公害問題」といった時事問題や 「私達の信仰」「神の審判としての歴史」「キリスト教倫理」などキリスト教信仰の本質にかかわるもの 「聖公会の綱領」などの教義、教律など これまでの集大成のような感じで 父はもうその頃、死期を悟っていたのではないかと感じさせるものです。
そして 読み始めたものの 私には非常に解読しにくく、どのように伝えていけばよいのか戸惑いました。
父は話をしていても「煙に巻く」というようなところがあったので、なんとなく微妙という表現が多いのかもしれません。
その中で出来るだけ内容を汲み取って纏めたリ、あるいは自分の言葉に置き換えたりして伝えて行きたいと思います。
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「信仰 公害 歴史」
第一講 礼拝に対する正しい姿勢
その序論を読んで 私は驚愕しました。
それは1970年前後に起こった日本基督教団の若き信徒の造反、礼拝の破壊、について「信徒の友」に掲載された文が紹介されていました。
その頃、私は宮崎に赴任した夫とともに宮崎に住んであり、一歳と生まれたばかりの年子の子供を育てていたので、社会生活からかけ離れていましたから 全く知りませんでした。
ちょうどその頃は学校では学内紛争があり、職員の団交があり、父も学校関係の問題で苦しんでいましたが、 まさか日本キリスト教団の教会内でこのような事態があったとは 知りませんでした。
これらの問題に父はどう答えているか。。
1牧師や教師が自ら礼拝を人間的な営みと理解することを否定し、神様と主イエスの命令として「安息日を聖として忘れるなかれ」を貫くこと。
2キリスト教の宣教とは「キリストが我がうちに充満すること。うちに充たされた喜びを持つことで在ること」を牧師側がはっきりと信徒に示さねばならぬことである。
こうした教会礼拝への攻撃と批判に対して 牧師達がなすべきことは 「まず静かに礼拝の根源をなす祈りの心を見つめること」であり、「それは論争の話題にするにはあまりにももの静かなものであるが、それだけに何者も奪うことの出来ない人間の根源的な生命で在る」
さて公同礼拝(教会の礼拝)を論ずる前に、まず 人間の存在の根源的なもの、神様と自分との宿命的な関係を掘り下げてみつめていこう。
―人間の存在の根源とは
我の存在は 日本的に言えば 「親我を生みたまえリ。故に我存す」と言われるものであり、またキリスト教でもイエスキリストの系図が福音書の真っ先に示されており、天主が人生を取りたもうたイエスの誕生にさえ、叙さねばならなかった要件が親の存在を示す系図であったということは 興味深いことである。
しかし人間が子を産むという崇高な行為は 人間の自由にはならず、「わが両親は 神の恩寵によって我を生みなせり」と言うことを人は次第に理解するのである。
したがって 人はその存在の根源を掘り下げるとき、
自分を中心に親と先祖、子と子孫との血の交わりを認め そこに精神的な愛の連帯をつくりだしている。
そして 同時に自分の存在は神の御手に在ることを認識する。
したがって人間の幸不幸は自分と根源的に連帯をもつものが、ますます強靭にむすびつくか あるいは断絶するかにかかわってくる。
そして 人類の最大の幸福は「相手」(自分の心を向けている)とともにあることであり、
人間の最大の不幸は「相手」(自分の心を向けている)から離れているということなのである。
そして神に対し離れている状態が「罪」であり、人間の最も『不幸』なことなのである。
―祈りの型
人が誰かを「忘れられない」「思い出させる」「慕わしい」と思う心、それが愛となり、いのりのこころとなるのだが これは人倫的な交わりを超えて神とのつながり、神と人との愛にまで昇華されなければならない。
祈りというものは様々な文学にしめされるようにクリスチャンだけのものでなく生きとし生けるすべての人が人として持っている本能的なものである。且つ又それは、キリスト教の「いのり」にまで'昇らねばならない。それによって人間の目指す最大の幸福が完成されるのだ。
祈りは主体が私であり、相手は神様であり、神様と自分の霊魂の存在をはっきりと認識しているものに起こることである。
つまり 「ああ わが霊は汝を仰ぎ見望む」という神を追慕する人の魂のねぎごとである。 この自然な行為は神様を賛美する、そして感謝する。しかし同時に「ああ 自分はこんなに醜い」という懺悔の気持ちを起こす。
そして「主よ我を去りたまえ。われは罪あるものなり」とひざまずいた心に 神様が襲い掛かってくる。そして神様に抱き取られるのである。 
人はまた祈願をする。その祈願は自分の分も弁えぬ途方のないものも在る。しかし、その祈願がかなえられようと、かなえられずとも 神様との交わりが深くなるという喜びがそこにある。なぜなら「神様と共にある」という事が、人間の最大の幸福であるからだ。
―成文礼拝(教会の礼拝)
祈りが人と人、人と神様との自然な結びつきで在るように、教会における「成文礼拝」も人々の間で、自然に成立されたものである。
1969年8月22日の「週刊朝日」は 京都丸田町教会に見る造反のいきさつを記しているが、彼ら乱暴な学生達が、牧師もいない、オルガニストもない、幼稚園の二階、天井から折り紙のぶら下がっている部屋に、20名ほどが集まり、子供の椅子に跪いて、
「神さま 私達は、この世に真に生きるには、どうすべきかを考えるために、自主礼拝をはじめました。そして今、貴方の前で震えております。たどたどしい祈りではありますが、どうかお聞きとどけてください」と祈っている姿をも付記している。騒ぎ続けた彼らもまた、御神の前に静かにぬかづいて、ああ 震えている私達をみそなわしてくださいと祈っているのだ。
「このように あなた方は子であるのだから 神は私達の心の中に『アバ父よ』と呼ぶ御子の霊を送ってくださったのである」(ガラテア人の手紙4章6節)
同じように成文祈祷による.礼拝において それが、私達がごく自然に神様とひとつに結びつく道なのである。
人は個人的に神とただ一人対する喜びを感じる。しかし また さだめられた日、素晴らしい場所、(つまり聖別された時間と空間にあって) さらに祈りの生活が充実されるのである。人は壮大な自然を目にしたとき 畏怖と感動の心を持つ。それは崇敬であり賛美である。こうした感激は祈祷書の中にある「万物の頌」となり、聖餐式の聖別における『天地万物とともに主を拝む風景』となるのである。
「汝安息日を聖として忘るるなかれ」という十戒の諴命を 我らが主は捨てたもうたのではない。むしろ遵守されたもうた。
神は 安息日にただ単に肉体労働の禁止を意味したのではない。主はむしろ 安息日が 積極的に恩寵と愛の働きを具現する日で在ることを示された。したがって 初代キリスト教徒が 日曜日を安息日に置き換えたとき、感謝の聖餐式を守り、同時に貧しき者らに愛の食事である「アガペ」を守る良き日とさだめたのである。
英国聖公会の学者リチャードフッカーは次のように記している。
「教会は 常に、祈祷書の規定された様式を維持してきた。もちろん所によって同一ではなかったが、大部分のものは、似通ったものを残してきた。したがって世界中の古い礼拝所を それぞれ比較してみるとき、それらが皆、同じような型を持ってきたことが分かる。したがって落ち着いた教会における神の民らの公同礼拝は、人のにわか作りの知恵によって生まれた勝手な言葉を用いなかった」と。
公同礼拝は 人と神とのひそかな個人的な結びつきを、人類と神の結びつきに整えたものなのである。
―結論
祈りは生きとし生けるものの結合の神秘といえるが、「わが霊魂は神を仰ぎ望む」という祈りの原点に帰らぬ限り、神と人との結合(真の幸福)はありえないのである。