2008年9月30日火曜日

八代斌助 その福音 

昭和39年父のこれまでの主な文書は「八代斌助著作集」としてまとめて出版されました。その第二巻 主イエスは昭和39年1月に発刊されました。私は立教大学二年生の時でした。今日その書を開けてみると背表紙に次のような言葉が記されていました。
「和子殿
僕の廿十代の頃の著作です。きれいな心の時代をなつかしんで
昭和40年イースター   著者 斌」
私がその書を開いたのは43年後のことになります。 何故当時その書を開けることがなかったのか、それについて父と語ることがなかったのかとと、悔恨やるかたない思いです。
43年後になりましたが、「主イエス」を読みました。
読み始めた途端に 主イエスが生き生きと迫ってまいりました。
私はこれまでにも聖書はもちろん小説聖書やイエス伝を読んだことがありますがこんなことは初めてでした。
この書の最後に八代崇(兄)の解説が付されています。
その中で兄はこの書は学術書ではなく信仰の書であると記しています。確かにこれは学術的な文書ではないのでしょう。
それは当然のことだと私は思います。なぜなら「福音」は学問によって伝えられるものではないからです。
私にとって 聖書物語、イエスの生涯は、主イエスが救い主として人間の罪を贖うために十字架につけられるというあらかじめ定められた生涯を送ったという盲目的な信仰であったように思います。そしてこのような信仰は 聖書や教義に対する学術的な批判や否定に接するとたちまちその確信が揺らぐものです。
八代崇は 解説の中で19世紀頃から 伝統的,正統的イエス観に対して イエスを「人類最大の教師、預言者、殉教者である人間」として捉える傾向が強くなり その後も「信仰」と「学問」の背反は続いているといっています。 そしてその影響をまさに私自身受けざるを得なかったといえます。
主イエスを神の御子キリストと捉えるか否かには無限大の差があります。イエスの人格や教訓にどれほど感銘したとしてもです。イエスを神の御子、救い主キリストと信じることがなければ、イエスをどれほど尊敬し傾倒していたとしても それは自身を神の子、救い主と宣言したがために 神への冒涜としてイエスを死刑に処した 選民ユダヤの民と変わることがないのです。 
そして私自身、自分の長い信仰生活の中でこの両者を行ったりきたりしてきたわけです。
 
そんな意味で 今、この「イエス伝」に接したことは有意義でした。
父は主イエスを生ける神の子キリストと捉えています。
これは正統的理解です。
しかしそれ以上に強く感じ取られるのは、父の主イエスに対する限りない敬意と深い愛です。そのために 単なるメシヤの物語と言う以上に 時代的、社会的背景の中でイエスが 生き生きと立体的に感じられます。
神の子でありながら 全き人間であったイエスの葛藤や苦しみや悲しみも伝わってきます。
父は 主イエスを生ける神の子キリストと捉え、信じることで、聖書に記されている様々な非論理的な非科学的な事実を信じることが出来ると言っています。
人知を超える歴史的処女降臨や様々な奇跡や死からの復活を信じ得るのです。
ことに主イエスキリストの復活については「それは容易な事実ではない。おそらく人間の歴史上最大の事件であり、この事実を信じることは異常な決心を要する。そして信じえたものの歓喜と力は、また比べるもののないほど偉大である」と 復活の信仰の意義を語っています。
そして「世界の人口が、この主の復活を信ずる者と、信じない者との二つに分かれたと言っても差し支えあるまい」と述べています。
昔、主イエスが弟子達に「あなた方は私を誰と言うかと尋ねられたその問いは、そののち 二千年の歴史のあいだ、各時代、各人種一人ひとりに同様の質問を発せられてきたのである」とあります。
この書を読み終わり、長い信仰生活の中で 様々な学説に揺れ動いてきた私自身に 学問と信仰との背反性を踏まえて、「私を誰と言うか」とイエスの問いが迫ってまいります。
そして父の生涯を貫いたのがこの信仰、「主イエスこそ生ける神の子キリスト」と信じる信仰であり、
そしてその復活を確信した者の受ける歓喜と力に満ちていたのだと。。。 

 

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